古田で育った 「第16代 種ケ島家当主 種子島久時」は、武将として。
15歳。 島津義久に従い、田布施(現:南さつま市金峰町)へ狩りに。
突然、大猪が現れたが、だれも仕留めようとはせず。
それを仕留めたのは久時。義久にぼうびをいただく。
その後5年間。 島津にために、肥前(佐賀県)・筑前(福岡県)・豊後(大分
県)・肥後(熊本県)で善戦。種子島勢は、九州各地でたいへん
武名をあげる。
22歳。 秀吉から鉄砲200挺の用意を命じられる。新しく作り、たまや火薬と一
緒に献上。種子島の鉄砲は、国内統一に重要な役割を果たす。
さらに・・・ 続きは、「賢母の教え」・「孟母三選」・・・・④ にて。
職員室の窓から見える“古田御前屋敷跡”の碑
『わたしたちの種子島』(西之表教育委員会・西之表市文化財保護審議会編)
『ふるさと歴史散歩 第二集 現和・安城・立山・中割・古田・住吉 編』
(西之表市教育委員会刊行)
を参考にさせていただいています。
いずれも・・・500円!『鉄砲館』で購入(*^▽^*)
最近のコメント